変わらない日常
大きな地震でしたね。
幸い、あたしの住む地域は小さな振動が長く続くもので、
収まった後寝てしまうくらいでした。
起きて、祖母に聞いたらとんでもないことになっていて驚きました。
母が祖母の替わりにお伊勢さん…伊勢神宮にお参りにいって不在でしたが、無事でした。
私は遙か祭での支度に待ちに出てみましたが、
コンビニも駅も変わらない風景に、実感がわかなかった。
行かないつもりでしたが、結局出発ギリギリのバスに乗り込んで、横浜に来てしまい、友人の安全を確認したかったのですが、事態が深刻で自重したら、
今度は結局、私が帰れなくてなってしまい、ご迷惑ながらもおいでって言ってくれた友達のお宅にお邪魔することになりました。
お母様が、親戚の結婚式で家に一人になるそうです。
自己満かもしれないけど、一人じゃなくお邪魔して良かったと思いました。
おしゃべりしたり、
DVD見たり、
グラッチェにご飯食べに行ったり何気ない一日を過ごしました。
今日、朝目覚ましアラーム(もちろん、うたかたのオペラw)で目を覚まして、
このまま居ようか、帰ろうか真剣に迷いました。
帰ったら一人だよね、
でも帰らなかったらうちの親も心配するよねと、電車に間に合うギリギリまで支度を済ませた状態で悩んでた。
結局、迷って帰ることにしましたが、
帰りがけに「居てくれてありがとう」と言われたのが嬉しかった。
きっと、私がここに来たことを馬鹿だと思ってる方もたくさんいらっしゃるかと思う。
イベントがあると半分思ってのこと、
半分は偽善かと思うけど、友達が心配だったから。自分だけ安全な地にいるのが嫌だったから。
だから、その一言がとても嬉しかった。
そしてツイッター。
何気ない朝の挨拶をかわせるのが幸せだと思いました。
あたしは偽善が嫌い。
だから、正しいと思って「この一大事に何言ってんの」と怒鳴りちらすのもどうかと思うし、
慈善と思うことを片っ端から支援するのも違うと思う。
大変な時期だから人の本質がみえる。
どんな事でもそれが生きる力となるならこんな時期だからこそ否定せず自由にさせてあげればいい。
だからってなんでもいい訳でなく、TL上で自重してくれるのも大事。
慈善的な事は、自分が大変な方の状況がわかるはずでも無いし、軽々しく「大変だよね」「あたしは味方だからいつでも頼って」なんてどうかしてる。
あれこれ口に出してるより黙って出来る事をしていけばいい。
自分からでなく、助けを求められた時に手を差しのばせばいい。
自分は平気なところから上から偽善を押し付けがましく与えるのは間違ってるな…と災害の時いつも思う。
まあ、横浜まで出てったあたしが偉そうに言えた義理じゃないから、こっちはあくまであたしが自分の正義を振りかざしてるだけだから忘れてほしい。